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お盆も終わろうかという日に、突然にして神社参拝と日本の神々に目覚める。

 

こんにちは。

「神社のひふみ -歴史探訪-」に、ご訪問頂きありがとうございます。当ブログ運営者の龍新《りゅうしん》と申します。

 

小学生の頃までは祖母の見よう見まねで、毎日仏壇に手を合わせているような子供だった私。

その影響からか、幼い頃は霊感というものも少しはあったようで、亡くなったお祖父さんに遭遇するという体験をしました。

世の中には、摩訶不思議な出来事や事象もあるもので、私自身はそういった事実(心霊現象)はあるものだとハッキリと認識しています。

しかし、世の人は様々です。

 

    • 自分自身が直接経験したことから、そういった事象はあると確信している方。
    • 自分は直接経験していないけど信じている方。
    • そんな世界は存在しないしありえないと思っている方。

     

    ここを見てくださっている貴方は、多少なりとも心霊現象を信じている方である可能性が高いと思いますが、これはほんとに人それぞれですね。

     

    私の体験談

    私が現在、このサイトなどで神社や日本の神々についての発信をするに至った経緯を、少しお話させてください。

     

    亡くなった祖父に遭遇した夜

    毎日、祖母の真似をして仏壇に手を合わせていた幼少期の私。手を合わせている相手もよく分かっていなかったのですが、仏間に飾ってある祖父の遺影があったので、祖父に手を合わせているという認識はなんとなくありました。ちなみにこの祖父は、私が生まれる前にすでに亡くなっています。

    8月の暑い夜の出来事。2階にある自分の部屋で寝ていたところ、ふと夜中に目が覚めました。猛烈に尿意を感じ、トイレに行きたくなったのです。

     

    toiregaman

    普段はいちど寝たら、朝まで起きないような私が深夜に目が覚めることじたい珍しい事でした。

    幼いころ人一倍怖がりだった私でしたが、我慢できないくらいの尿意のため仕方なく起き上がり、恐る恐る部屋を出て廊下に出ました。

    当時住んでいた家はトイレが1階にあったので、階段で下に降りて行かなければなりませんでした。

    そこは真っ暗な廊下道。

    手探りで階段まで辿りつくと、階段の脇には小窓があり、その日は夏ということもあって階段の小窓は通気のため開いていました。

     

    kaidan

    すると、その小窓の外から「カラ~ン、コロ~ン、カラ~ン、コロ~ン…」と下駄を履いて歩くような音が聞こえてきました。

    ゾッとしながら「誰がこんな夜中に下駄なんか履いて歩いてるんだよ~」と半泣きになりながら外を見ると、その音はピタッと無くなります。

    そして階段を降りようとすると、また「カラ~ン、コロ~ン、カラ~ン、コロ~ン…」と聞こえてきたので、もう一度外を覗くと同じように音は止まります。

     

    geta

    「怖い怖い!」

    と思いながら、真っ暗な階段を一気に駆け下り無事にトイレを済ませました。

    そして2階の部屋に戻ろうとすると、さっきの下駄の音のこともあり、今度は真っ暗な2階に上がるのが怖くなってきました。

    幸い祖母が1階の和室(仏間)に寝ており、おばあちゃん子だった私は、祖母の部屋に行き大きく祖母をゆすって起こしたのです。

    「ばあちゃん、ばあちゃん!あのね、さっき外で下駄履いて歩いてる音が聞こえてきて怖かった~!」

    と話すと、祖母は眠たそうにしながら「ああ、そうなんね~。もうここで横に入って一緒に寝なさい。」と言うと、あっという間にすぐさま眠りについてしまいました。

     

    sobo

    怖くて怖くて仕方ない私は、暑い夏の夜にもかかわらず、潜り込むように布団を頭からかぶって隠れるように寝る事にしました。

    しかし、さっきのことが気になってとても眠れません。心臓はドキドキと高揚し、とても眠れそうにありません。布団に潜ってはいたものの、暑いし息苦しいし…。

    「苦し過ぎる!もうムリだぁ~!」と布団から顔を出した瞬間。

     

    neoki

    「ドドーン!!」

    と目の前に祖父が降臨。私との距離は1m程度の至近距離!見間違えとか、見えたような気がするというレベルではありません。

    目の真ん前にドドン!と存在していたのです。

    「で、で、でたぁー!おじいちゃんだ!!」

    と、生前会ったことも無いのに咄嗟に頭で理解できてしまうのです。

    恐怖のあまり、再び布団を頭からかぶり、暑さや息苦しさを我慢したまま朝まで潜り続けました。

    そのまま耐え偲ぶこと数時間たったでしょうか。バタバタと母が起きて炊事を始める音が聞こえてきました。

    「やっと朝だぁー!」

    と布団から出ると、外も明るくなってきており一直線に台所にいる母のもとへ駆け寄りました。

     

    hahatoko

    母に必死になって、昨夜からの事の顛末を伝えるも、

    「寝ぼけて夢でも見たんでしょ。」

    と一蹴。

    しかし、祖父の見た目や服装や下駄のことを詳細に伝えると、ようやく信じてくれたのです。まず祖父の服装ですが、浴衣姿でした。

    その模様を詳細に伝えると、火葬した時に着せていた模様と一致するとのこと。また、生前はよく下駄を好んで履いていたことも話してくれました。

    そして私は知らなかったのですが、その日は、なんと祖父の命日だったのです。

    よく、心霊体験をしたことがない人に聞かれるのですが「幽霊ってどんな風なの?」と。

    少なくとも私の見た祖父は、目の前1mの所に胡坐をかいて座っており浴衣姿でしたが、その全体像は本当に青白い姿でした。

     

    無くなった祖母がやってきた日

    sobo

    先にお話した祖父との遭遇以来、あまりに怖くなった私は、それから仏壇に手を合わすことも少なくなり、

    「そういうの見たくないから辞めて!」

    と心の中で訴えかけ続けました。

    その影響か、それからというもの霊感というものが一切なくなり、見ることも感じることも無くなっていきました。

    そうして大人になり、会社勤めをしている時に、

    「祖母が亡くなった」

    との知らせが入ったため、県外から急遽実家に戻り、葬儀に参列しました。

    この祖母は、私の見た祖父の嫁にあたり、祖父を見た日に叩き起こして一緒に寝たおばあちゃんです。

    祖母は幼少期から私を可愛がってくれ、大好きな存在でした。おばあちゃん子だった私はとても悲しんでいましたが、年齢的には大往生でした。

    仕方なく切り替えて、お葬式の後、翌日から仕事に戻りました。

    その夜、寝ようとしていたら、昔見た祖父の霊体験を思い出しました。「まさか、お婆ちゃんも出てこないだろうなぁ? 夫婦そろって辞めてよ~」と考えていました。

     

    neruotoko

    深夜、眠りについていた私は急に目が覚めました。その瞬間、全身に金縛りが襲いかかりす。

    身動きできないまま、金縛りに続いて強烈な金属音が聞こえてきました。

    「キィーーーーーン!」という甲高い金属音。

    不思議と感覚的に分かってしまうのです。お婆ちゃんがやってくると。「絶対に目は開かない!」と心に決めて、「さあ来い!」

     

    kanasibari

    と思っていると、そのまま私の身体の上に、

    「ズドーン!」

    と乗っかってきます。

    お婆ちゃんと分かっているので、嫌な気持ちとか恐ろしいという感覚ではありませんが、次のように頭で語りかけました。

    「お、重いよ婆ちゃん…もう死んじゃったんだから、いつまでもこっちにいちゃダメ。ちゃんと行くべきところに行くんだよ!」

    と。

    すると、金縛りが溶けてすっと身体が軽くなりました。

    大好きだったお婆ちゃんが会いに来てくれたという嬉しい気持ち半分、やっぱりお婆ちゃんも来ちゃったかという気持ち半分の出来事でした。

    また、心の中で、

    「こういう経験はいいから、もう2人とも出てきちゃだめだよー!」

    と語りかけていたので、その後、祖父・祖母が現れることはありませんでした。

     

    ある日突然 神社参拝に目覚める

    それから何年もの月日が流れ、その間私に一切の心霊事象はありません。

    私の価値観として、

     

    • スピリチュアル大嫌い
    • 宗教は、やりたい人はやればいいけど自分は関わりたくない
    • 霊は存在するし見えることもあるが、もう経験したくない

    という価値観のもとで生活してきました。今まで、何かの宗教団体に入ったことは一度もありません。「神や仏」という存在は、なんとなく存在するだろうとは思っていましたが、自分には関係ないと考えていました。普通の人なら行くであろう「厄年などのお祓い」や「車のお祓い」はもちろん、多くの人がイベントごとのように行く「初詣」すら、ほぼ経験したことがありませんでした。神社というものに縁のない人生を歩んできたのです。私はいわゆる、「超リアリスト」な現実主義な人生を歩んできました。

     

    hirameku

    そんな私でしたが、ある年の8月のお盆も終わろうかという時に突然、

    「お盆が終わってしまう。仏壇に手を合わせなきゃ。」

    という衝動に襲われます。

    何故そう思ったのか理由は分かりません。ずっと神社やお寺に行ったことがなく、墓参りもせず、仏壇も蔑ろにしていた私が、突然そう思い立ったのです。

    そして久しぶりに仏壇の前に座り、線香を立て合唱して目を閉じました。すると…

    「神社に行かなくちゃ!!」

    と思い立ったのです。神社なんて、人生で何回行っただろう?おそらくどこかの旅行や観光ついでに立ち寄ったことがあるくらいのものです。

    そんな私が何故か、神社に行かなくてはいけないという衝動に駆られたのです。

     

    jinnjilya

    そして思い立ったその時、まだ午前中だったため、近所の一番近くにある神社に産まれて初めて行くことにしました。

    いい歳して「人生初の神社参拝」です。もちろん、神社の礼儀作法やマナーなんて知りません。もっと言えば、お寺と神社の違いもよく分かっていません。

    たしか鳥居があるのが神社で、お坊さんがいるのがお寺かな?そんな知識レベルです。

    今では赤面するくらい恥ずかしいと思えるので良かったのですが、神社に到着すると無人で、シーンと静まり返った境内には誰も参拝者はいませんでした。

    何の知識もない私は、礼をせずに鳥居をくぐり、神社のど真ん中を通り抜けていきます。

    本殿の前に辿りつくと、お賽銭を放り投げ、柏手も打たず本殿で礼をせず、そのままいきなり合掌。

    神社参拝している人がいたなら、呆れられるような参拝だったと思います。

    他にも、摂社・末社があったのですが、その時は何も知らなかったので、これくらいでいいのかな?とそのまま帰宅。

     

    odoroku

    家に帰り、ネットやYouTubeなどで「神社」と検索していると、今の私に足りていない知識を補うかのように、次々と頭の中に情報が入ってきます。

    「こんなに記憶力良かったっけ!?」

    と、自分でも驚くくらい神社に関する情報がスルスルと入ってくるのです。

    知れば知るほど、自分の神社での行動にショックを受け、恥ずかしくなる一方で、楽しくもあり、色々なことを吸収していくことで、

    「明日も神社に行きたい!」

    と思うに至り、翌日も神社に行こうと決意したのでした。

     

    始まった21日参り

    様々な知識を吸収して、21日参りという参拝方法を知り、「やってみよう!」と決意しました。21日間、欠かすことなく神社に通ううちに不思議な感覚に包まれていきます。

    物事の真理が分かってきたような、本当の意味での感謝の心が分かってきたような、神様と言われる存在が確かにあるという感覚と共に、いろいろなことを学ばせてくれるのです。

    一言で言えば、「神様先生」という感じでしょうか(笑)

    動画やネットを見れば、今自分に足りていない知識が続々と出てきて、それを見ると他のこととは比べ物にならないくらい集中できて、頭の中にスルスルと入ってくる。

    そして次の日にはそれを神社で実演する。そんな21日参りが続きました。

    当時、夏でしたので色々な昆虫がいますね。特に様々な蝶やトンボなど。特に神様トンボと言われる「羽黒トンボ・黒アゲハ」を頻繁に目にします。

    これまでの人生で、これらの昆虫を見た記憶がないくらい、初めて見た気がしました。

     

    hagurotonbokuroageha

    そして不思議なことに、これらの昆虫たちが私の周りを付いてきたり、クルクルと回って近寄ってくるのです。

    ほんとうに今までそんなことは経験がなかったので、不思議な気持ちでした。

    そんなある日、神社参拝で本殿の参拝が終わり帰宅しようとすると、ハグロトンボが近くに寄ってきます。

    「このトンボ、ほんとうに綺麗だなぁ~」

    と、見とれているとトンボがまるで、

    「ついて来い!」

    と言っているように感じたのです。

    ヒラヒラと飛んでは留まり、また飛んでは留まる。これの繰り返しで私をどこかへ案内するように連れて行くのです。

     

    hokora

    そうして飛んで行った先には、今まで私が気づいていなかったお社があるではありませんか!

    正直驚きましたし、またひとつ教えを乞うたような気持ちになりました。

    まるで、

    「ここの小さなお社が、この神社の大事なところだぞ!」

    と教えてもらったような気分です。

    このトンボに案内されたお社のエピソードはその後にも凄いことが起こるのですが、ここでは割愛させていただきます。

    このように、トンボや蝶だけではなく、その他にも蛇やイタチ、猫やカラス、トンビなど、多くの昆虫や動物たちとの出会いがありました。

    その都度、何かを学ばせてもらっているような感覚が神社参拝の楽しみの一つでもあります。

     

    神社と歩むこれからの時代の生き方

    kazenojidai

    全国の市町村いたる所に存在している神社。

    普段から足しげく通われている方から、年に1度初詣でしか足を運ばないという方まで様々でしょう。

    人によっては以前の私と同じように、神社の作法やマナーなんて分からない。

    有名な神社や近所にある神社の名は知っているけれど、そこに祀られている神様の名前は知らない。

    更には、どんな神様なのか全く分からない!というような方が多い事でしょう。

     

    これから地球は、本格的に「風の時代」と言われる時代へと突入していきます。

    この〇〇の時代というのは「水、火、地、風」と呼ばれる4つの時代を指します。

     

    jidai

    約220年の周期でサイクルして移り変わっており、これまでの「地の時代」から「風の時代」へと移り変わる転換期なのです。

    これまでの約220年続いてきた「地の時代」とはどんな時代か?簡単に言うと、お金や物質など、目に見えるもの・所有することを重視した時代です。

    世界の人々は、目に見える資産形成を目指して生きてきました。実際、これまでのあなたもこのように生きてきたのではないでしょうか?

    「地の時代」の約220年は産業革命を皮切りに、世界中で物の生産とその消費が大量に流通してきた時代でした。

    この日本においてもマイホームやマイカーを持ったり、その他資産価値のあるものを所有し、学歴を積み、資格を取って良い職場に就職をすることこそが正義・理想とされていた時代です。

     

    seisinsekai

    「風の時代」においては、精神性や知性、コミュニケーションなどの内面的要素が重視される時代となります。これまでの「所有する生活から、所有しない生活」への移行により、人々は自身の精神性と価値観に基づいて選択を行うことが求められる時代と言えます。

    内面的な意識や精神が現実になっていく「風の時代」において、過去の価値観に固執する人々と、新たな時代に適応する人々との間で大きな「二極化」が進行していくことでしょう。

    自己をしっかりと持ち、今までの当たり前と思っていた常識や権威ある人々の意見に流されず穏やかで愛と感謝の心を持つことが、この時代においてとても重要になってきます。

     

    kougousiijinjya

    そのような時代だからこそ、私が是非おススメしたいのが「神社参拝」なのです!

    古来より、多くの人々に大切にされてきた神社には、神域に満ちた気が存在します。

    普通の人の目には映りませんが、神社には神様がいてくださいます。

    気の満ちた素晴らしい神社へ参拝することで、心と精神の自分軸というものが洗練され、落ち着き整えてくれる力があると感じることができます。

    私は今でこそ神社という場所をこよなく愛していますが、これまでお話してきたように、これまでの人生のほとんど神社にはまったく興味もなく、神社参拝なんてロクにしたことがありませんでした。

    そんな私ですが、今では大の神社好き、神様好き。

    定期的に神社参拝されている方はもちろん、もし以前の私と同じように、不安にかられながら神社に行ってみようかな?と目覚めかけている方、

     

    • 神社の参拝方法やマナーがわからない
    • そもそも神社ってなんなのかよくわからない
    • 祀られている神様の知識や歴史が知りたい
      など、どんなことからでもいいので「神社」という昔からある日本の良き風景・場所へ興味を持ち、最初の1歩を踏み出して頂ければ幸いです。

    当時の私のように、何も分からない「神社初心者」さんに対して、欲しい情報提供をし背中を押すことのできる神社サイトとして、これから日々奮闘していきます!

    「風の時代」に向け新たな自分を生み出すために、あなたのこれまでと生き方と行動を変えていくキッカケとなってくれることをお祈りします。

     

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